美麗な嬢に心まで癒された
H.N. 分譲陳情 No.035
地方の中堅ハウスメーカー勤務でありながら、常務へと昇進した50近くの私。当時は多忙を極めていたが、やがて業務にはゆとりが生まれ暇を持て余すようになった。
周囲には鼻高々ではあったものの、家庭状況は築100年以上の老化した平屋の様である。
若き日の女房はスキンケアをくまなく行う、女心を忘れない美麗さがあった。しかし、歳を重ねるに連れ怠惰になっている。
「お前は干物女か」と言わんばかりにジャージ姿で尻を掻き、しまいには大黒柱を前に放屁をかますのだ。挙句の果てには「ごめん遊ばせ」と、笑えないジョークを飛ばす始末である。
したがって、休日は耐え難い苦痛があった。新婚の3年目までが華、結婚は墓場と揶揄されるのも納得せざるを得ない。
そんな折、得意先の接待で魚類を専門とした懐石料理店で取引先の役員と、酒を酌み交わす一節があった。
芳醇な日本酒を呑んでいた際、夜の営みについて話題が移行し、役員の語りには共感する点があり私は聞き手に回る。「遊びは芸の肥やしという著名人がいるが、会社員も同様ではないか」の発言を受け、中年がどのように羽を伸ばせるのか私は率直に尋ねた。
取引先役員は、高級デリヘルを使いセカンドライフを謳歌しているらしい。私は過去にソープやヘルスに数度、忘年会や親睦会後に付き合いでの来店経験がある。しかし、デリヘルは未経験だった。
聞けば、店舗型だと向かう際に身内発覚のリスクはあるが、デリヘルにおいて危険な概念はないと伺い納得する。
懐石料理店を後にしたタクシー内で、早速仙台駅近辺のデリヘル嬢を呼ぶホテルを検討した。
駅の北には子供が行くミュージアム、東には総合運動場がありどちらも望ましくない。ならばと、西側の女房が向かわないエリアに目星をつけた。
翌日からデリ嬢を探し始め、選んだお店は創業から20年余の老舗で、信頼は置けるだろう。幸いにも近郊の出張対応とあり、私の要望を満たしている。
高級デリヘル店の在籍女性は2段階のクラスに分類され、高額の方は120分が約4万円近くで確かに高相場と感じる。
吟味の最中、床柱に背を預けるセレブ風の嬢写真が目につき、滅茶苦茶にしたい思いが脳内を駆け巡った。
会食から1週間後、待望のデリヘル嬢を某ホテルで呼んだ際「私をお選び頂きましてありがとうございます。上がってもよろしかったでしょうか。」と今まで利用してきた風俗店を遥かに凌駕する挨拶に面を食らう。
身長は170センチ以上あり、モデルさながらの完成されたスタイルは高級注文住宅に形容できる。私も182センチ程あり引け目は感じない。蛇足だが、学生時代はバスケット選手として活躍していたし身長のおかげでモテたものだ。
かつては高飛車だったのではないかと、若かりし頃の女房を重ね、どう料理してやろうかと模索していた折、N嬢から早々にスキンシップがあった。
手は造作なく握るのではなく、和紙を丁寧に伸ばすような手付きである。握られると、蓄積したストレスが緩和していくのを感じた。
私が上着を脱ぐと即座に反応、同時にハンガーにかける所作など、ミシュラン店のギャルソン相当のレベルで感心する。また、シャワーの際は全裸登場ではなく、きらびやかな高級ランジェリー姿で洗体の興奮余韻を残しくれるのである。
相当の場数、高難度の研修を経て培ったのかと称賛しつつも、魅惑の姿による”魅了勃ち”は隠せなかった。そうだ、自分はまだレームダックではない、ならば私も”教育”に参加する権利がある!と濡れ場へ突入する。
まずN嬢より「とことん奉仕させてください」という言葉を受けた。ではどうリラックスしようかと考えて、家で過ごす休日が脳裏を過る。
片足あぐらでリクライニングチェアに背を預け、新聞を読むのが好きなのだが、いつも女房にその時間を邪魔されていた。その怒りとフラストレーションから同シチュエーションのポージングを取り、日頃の鬱憤をまず晴らすことにした。腕を伸ばせば譲は尻を突き出しながら私に抱きつく。
そのままエロティックな3回のフレッシュキス。首筋から耳たぶまで丹念に舐める彼女の動作から、一瞬で片足あぐらは解除される。
もはや、鬱憤により折檻したい念は消え去っていた。魅惑の体は胸から秘部まで余すことなく堪能、後に期待していた十八番・尺八のおもてなしが始まる。
濃厚尺八は30秒に1度は私の目を見つめる妖艶加減が至極で、竿舐めはフルート奏者もたじろぐ美麗な横流しモーションだ。
「溜まっていた欲…思い切り出してください」とつぶやいた彼女に、精子ならびに思いの丈も込め口内へぶつけさせてもらった。
後日呼び寄せた2度目のプレイは、初回以上の白熱だったのは言うまでもない。
私が覚えるのは他者同然の女房への罪悪感ではなく、自分の風俗通いを許容できる背徳感だ。